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  • 執筆者の写真みどりの丘 ami emiko

思いもよらないところに根本的原因が・・・

ヨガ&ヒプノセラピストamiです。

いつもお読みいただきありがとうございます。


それは、あまりにも日常的で、そこに原因があることにさえも気づかなかった。

そして、幼少期に当たり前に繰り返される日々が、こんなにも、そして長い年月影響していたなんて!

これは、先日のセラピーセッション後に講座で学んでいたことが、実体感として感じたことです。


前回のヒプノセラピー実録




幼少期、自分の気持ちや思っていることを家族に話をしたという記憶がありませんでした。

姉が親にそのような話をしているのを目にすることもなく。

(学校で必要なものや、連絡事項はしていましたが、自分自身に触れる話しをしていません

でした。)

いわゆる、今日学校でこんなことがあった、とか、誰が休んでとか、最近ね・・・・などの他愛もない会話をした記憶がなかったのです。

そういった、話をしたいのに話せない・・・

という思いもなく、話さないのが当たり前のように自然にそう思っていました。

母親の側に居たい。

そう思うときには、台所にいる母親のところに行き、ただ側で母親の話を聴く。

そんな子供だったのです。

いつも忙しくしていた母。

母が、子供達と一緒にいると、いつも祖母に用事を頼まれ、私達のところからいなくなる。

その繰り返しが多かったのです。

幼少期、どうしても話をしたかったのに話が出来ずに淋しい思いをした。

という認識が、自分の中になかったのですが、

潜在意識にあったものは、「淋しい」という感情だったのです。

この潜在意識の「淋しい」という感情を、顕在意識では、感じないように過ごしている

のですが、ふとした時に、この「淋しさ」を感じたのです。

それは何故かというと、「淋しさ」が消えてなくなった訳ではなく、潜在意識に抑圧していた感情だったからなのです。

この、抑圧した感情が、大人になった今でも時折顔を出していたのです。

ヒプノセラピーを受け、

どう感じたのか?

どう思ったのか?

本当はどうして欲しかったのか?

どうしたかったのか?

などなど、ひとつひとつ丁寧に進めてもらうことで、初めて私はこんな風にして欲しかったし、こんなことを感じていたんだ!

ということに気づくことが出来たのです。

淋しさを抱える原因が、大きな出来事があった訳でもなく、日常生活の中に普通にあったということ。

セラピーで、ひとつひとつ解放することで、自分自身が随分変わってきたと感じる時があります。

この事は、また次回触れたいと思います。



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